成蹊医会

米国留学 その1)~渡米まで~ 

はじめまして、成蹊医会の皆様。

高校時代は吉祥寺のサンロード近くにあるホープ軒でチャーシュー麺をよく食べていました。今の学生さんもホープ軒に行くのでしょうか。そういえば、中学高校の建物が新しくなったと聞きました。

さて、最近の日本の若者は内向き思考だけでなく、外向き思考も実際には居て、両極端に別れると聞いております。

成蹊学園は小学校から高校まで帰国子女の生徒を受けて入れてきた長い歴史があり、グローバルな校風を目指す学校でもありましょう。かくいう私も小学生時代はアメリカ東海岸で4年ほど過ごしました。帰国後、成蹊中学では故H方先生(数学担当)が担任で国際学級に居りました。
無事に成蹊高校も卒業し、時を経て90年代後半です。私は日本で眼科医としてのキャリアを開始するも数年後に再度留学のため、アメリカに渡ることになりました。2003-2008年までワシントンDC(DC)に住んでいたので、今回は留学の話を、簡単にですが述べたいと思います。

私は医師としてのキャリアを眼科医局の研修医として大学の付属病院でスタートしました。

医局時代は最先端の医療(手術等)にも下っ端として関わらせてもらい、忙しく働いておりました。また、研修医2年目には(眼科以外に)内科や小児科、そして麻酔科を周りました。(→当時の研修医制度は今と違い、研修医は直接志望医局に所属した)。

ここで、私は学生時代から臨床以外に医療(病院)経営や医療ビジネス(venture capitalやstart upなど)、公衆衛生(医療経営、international healthなど)といった分野にも興味があり、入局4年目(→当時の制度で研修医は2年間)に一念発起して眼科医局を退局し、アメリカの大学院で医療経営やビジネスを学ぶ為に留学するになりました。尚、ローテーションで麻酔科を周ると病院の機能する仕組みが大変よくわかるので、数ヶ月でもよいので周ることをお勧めです。(→今の研修医制度では、麻酔科を周るのは必須かもしれません。)

日本の医師が留学する場合、一般的に所属する医局から派遣されて、受け入れ先の海外の大学の基礎系研究室へ留学するパターンが多いと思います。もしくは更にアメリカで臨床医として実力UPをめざし、更に給与をもらおうと思えば米国の医師免許(ECFMG(the Educational Commission for Foreign Medical Graduates)を取得してアメリカの病院で働く、というガッツあふれる医師もいるでしょう。

しかし、私の留学の場合は上記のどちらでもなく、志望先が経営系ということで、(当時の医師としては)ややめずらしい例でした。最近では経営大学院(→ビジネススクールのこと。学位はMBA (Master of Business Administration))や公衆衛生大学院(MPH (Master of Public Health))で勉強する人も増えていますが、私が医局を辞めた当時(2000-03年頃)は臨床医としてかなり珍しい理由で退局したため、当時の上司に驚かれたのを覚えております。

ここで全く留学なんぞ一度も考えたことが無い人のために、アメリカを例に簡単に述べます。
アメリカの大学院へ留学するには、
①TOEFL(アメリカの大学や大学院に入学するために必要な、アメリカ以外の学校を卒業した人のための英語の試験)や
②GMAT(主にMBAなどの経営系大学院に必要なアメリカ人も含めて皆受ける必要がある試験。MPHだとGREとGMATどちらかの場合が多い。)という英語の試験を受ける必要があります。さらに、
③日本の学部の卒業証明書(&成績証明書)、
④受験校毎に異なる3~5通のエッセイ(志望理由や卒後の展望など)、そして
⑤3~4通の推薦状(職場の上司や同僚、大学時代の先生など)
⑥財政証明書

などが必要です。

私は退局後、英語の勉強をしながら上記の試験を受け続け、その間はフリーの眼科医として働いていました。
ちなみに私は退局するまで英語からかなり遠ざかっていたので、退局後3年目にしてやっと米国大学院の留学に必要なレベルの上記テストの点数を取ることができました。当時、私も含めた大学院留学のために英語を勉強していた友人や知人たち(皆、社会人)から聞いた話を総合すると、アメリカの大学(学部)を卒業した人でも無い限り、(日本の社会人の場合は)丸3年くらいは準備期間として英語の勉強をしてから留学を果たすのはめずらしくありません。よって、すぐに留学したいと思っても、(現地の語学学校でなく、)大学院に入学するためには、それまで英語が専門でもない限りは2~3年は準備期間として必要だと思っておいて間違いは無いでしょう。最近では日本政府がTOEFLの結果を大学受験や国家公務員試験の正式科目にするといわれており、今後は米国に留学するためには効率がよくなるでしょう。

ところで、経営系の大学院というと米国の経営大学院(←学位はMBA)が有名ですが、私は始めの大学院が医療系のマネージメント分野であったので、医療管理学(学位MHAなど)のプログラムで学び、その後、ビジネススクールでファイナンス(MSF)を勉強しました。実は医療マネージメントのプログラムはビジネススクールと公衆衛生大学院、さらには別の医療系学部と、学校によってプログラムの所属する学部(組織)が違うのです。

今後留学を考えている方は、ご参考にしてください。
このような過程を経て、私はワシントンDCへ留学する運びとなりました。

渡米前だけでここまで長くなってしまいました。機会があれば、留学中のカリキュラムやアメリカ生活の話は次回の(米国留学 その2)で述べたいと思います。

2013年春 (高校39回卒 F)

(写真1)ワシントンDCで毎年4月に行われる「SAKURA MATSURI」の会場のTidal Basin。

(写真2)通学で毎日渡っていたワシントンDC(DC特別区)とVirginia州を結ぶ有名な橋のKey Bridge。川の名前はポトマック河 (Potomac River)です。橋の向こうには大学のキャンパスの建物が見えます。