医療法人財団 利定会 大久野病院
進藤 幸雄 (高校35期)
高校35期の進藤幸雄です。近年、安全で質の高い医療への社会的要求はますます高まっていますが、一方で高度化、複雑化が加速度的に進んでいる医療の現実もあり、医療者個人の技量で医療の質を保証することは極めて困難な状況となってきています。
そんな中で、我々は、医療における質中心経営管理システムを研究している研究会、QMS-H(Quality centered Management System for Healthcare)研究会に病院として参加しているので、そこで得た知見から、医療の質に関しての考え方の一部などをご紹介したいと思います。
QMS-H研究会は東京大学医療社会システム工学、飯塚悦功教授、水流聡子教授、早稲田大学理工学術院、棟近雅彦教授ら、品質管理に於いて正に日本の中核を担っておられる先生方を中心とし、医療の質を中心に据えた質中心経営管理システムを開発し、それを医療機関に導入するための合理的なプロセスの確立を目指して活動しており、現在全国から8病院が参加し、2ヶ月に一回の研究会で成果の発表や議論をしています。
そもそも、我々がこの研究会に参加した理由の一つは、医療安全に関心を持ち、また医療安全に対する社会的要求の高まりを感じていたからでした。1999年に横浜市大病院で発生した患者取り違え事件などの医療事故は全国に大きく報道され、医療事故を犯罪のように扱う報道に、国民の医療に対する信頼は一気に失墜しました。
更に2001年9月に下った横浜私大事件に対する横浜地裁の第一審判決は、手術室で患者を引き渡された看護師に対して禁固1年、執行猶予3年という、不安を抱えながら診療している我々医療従事者を更に谷底に突き落とすがごとくの判決でした。
この事件を境に医療訴訟は約3倍に増加したとのことです。大切な家族や自分自身の体を預ける患者さんや御家族も不安感は募ったことでしょうが、我々医療従事者もうっかりミスが刑事罰になるという不安感や、医療不信の患者の厳しい目に日々晒されながら診療しなければならず、場合によっては萎縮医療が生じるようになりました。
このような医療不信の渦巻くなかでは、間違えを起こさないよう細心の注意を払うことは勿論ですが、間違えの起こりえない仕組みを作ることが急務であり、また間違えを起こさないために高度な仕組みを持っているのだと患者さん達に示すことによって信頼を回復し、更には、我々自身正しい質の高いことをやっているということを確認し、医療従事者が自信を回復できる仕組みが必要であると考えられました。
この研究会に参加し始めたころ、品質管理を専門的に研究している研究者のいうところの質という概念には少なからぬ衝撃を受けました。
品質について深く考えたことの無かった私は、医療の質とは、漠然と、医学知識や技術のことであろうと考えていました。質が高いとは、高度な技術を持ち、知識が豊富なことを言うのであろうと考えていました。それはそれで完全な間違えでもないのでしょうが、実は品質という二文字にはとてつもなく奥深いものがあることを徐々に知らされたのでした。
当初研究会で聞かされた質の概念とは禅問答のようなものでした。医療における製品とは何ですか?製品が何かわからないのに品質か高いかどうかどうやって判断するのですか?などの質問に明確な答えなど用意できるはずもありませんでした。更に、質が高いか低いかは誰が判断しますか?という質問に対して医療従事者のほとんどは、患者さんや御家族は医療に関して深い知識を持ち合わせていないのだから、当然質の判断は医療者にしかできないというように考える、ということを聞かされ、確かにその通りであろうと会心し、何の疑問も湧きませんでした。
しかし、それでは自動車の質の良し悪しの判断は自動車に深い知識を持ち合わせているプロにしか判断できませんか?実際には深い知識の無い顧客がしているのではないですか。医療も実はそうなのではないですか?などと話が進んでいくと、何か釈然としないものの、我々の考える医療の質の概念には何か大きな歪みがあるのではないかと考えざるを得なくなったのでした。
研究会参加を重ねてゆくと、特殊だと考えていた医療の世界は実はあまり特殊でもないことも見えてきました。例えば、最も特殊だと考えられている患者の個別性はホテルサービスなどに於ける顧客の個別性と酷似しており、産業界で用いられている様々な質向上の手法は医療業界にも応用が可能であることが理解できます。
品質管理の手法を学び、導入、推進のプロセスを経ていくうちに研究会参加の医療従事者は徐々にその頑なな心を解凍され、質についての考え方を再構築してゆきます。そしていつしか品質管理に深い関心を持ち、その奥深さに魅せられるようになります。ただ、しかし、研究会参加の個人が如何に深く理解してもそれを病院職員全体に浸透させることは困難を極めます。
従って、質向上に積極的な人員を中心に仕組みづくりをすることになります。質向上の為最初に手がけなければならないのは、やはり業務手順を書き表す、所謂可視化であると考えます。業務の手順が見えなければどこに問題があるのか見えず、従ってどこを改善したらよいのかが明確になりません。業務が可視化されていないところで行う改善は本当の意味での改善とは生り得ず、応急処置を繰り返すことになり、その結果繁忙な上に効率が悪く更に正確性も欠くという手順に成り果てる可能性があります。実際に当院の業務にもそのような手順が見受けられました。可視化することによって初めて改善活動が開始されたわけです。
また、医療はその高度な専門性故に個人の能力に頼りすぎている傾向があります。弘法も筆の誤り、To err is a humanなどの言葉もありますが、どんなに能力の高い人間もミスは起こします。患者さん個々人に合わせて診療内容を組み立てることは大切ですが、ガイドラインやクリニカルパスのように予め診療内容が示されていれば、不要なミスの軽減につながると考えられます。更には患者さん個々人の状態の変化に合わせて対応可能なクリニカルパスである患者状態適応型パスPCAPS研究会がQMS-H研究会と平行して進行しており、完成すれば医療の質と安全の保証に大きく貢献するものと考えられます。
このような様々な情報を吸収しつつ徐々に院内に品質管理のシステムを導入して行くわけです。参加病院は自院の進捗を発表しつつ、他院のシステムを参考にしながらお互い切磋琢磨しながら質向上に努め、時に懇親を深めています。
皆様の医療機関でも様々な質向上のための取り組みが行われていることとは思いますが、質向上の一つの取り組みとして我々の行っている活動をご報告いたしました。